人は何度満たされても、乾く。- たぶん、エッセイ。

人と話した後は、なんとなく心がじわっとする。

満足した、とは少し違う。コップが水で満たされた感じでも、喉の渇きが癒やされた感じでもない。味噌汁を作ろうと水に浸した乾燥ワカメが、じわじわと柔らかくなるような、そんな感触。

人と話すと、自分がもともと柔らかかったことをじんわりと思い出す。

人は誰とも話さずにいると、少しずつ固くなる。

一人でいるというのは、自分しか出席していない会議のようなものだ。反対意見は出ない。議事録には毎回、「全会一致で可決」と書かれる。

そうしているうちに自分の考えは、少しずつ固く、動かせないものになっていく。自分の考えが研ぎ澄まされているようで、実際には柔軟さを失っていく。

だから、人と話す。

別に深い話でなくてもいい。面白い話じゃなくてもいい。

最近どうしているとか、昼に何を食べたかとか、スーパーで知らないおばあちゃんに話しかけられたとか、そんな話でいい。

会話によって人生の答えが見つかるわけではない。相手に説得されて、考えが180度変わることなんてほとんどない。それでも、話した後には少しだけ自分の輪郭が柔らかくなっていると思う。

「そんな見方も、あっていいか。」

「まあ、そこまで厳しくなくてもいいか。」

そんな小さな水分が、自分の中へじわじわと染み込んでいる。

人と話すことは、固くなっていた自分に、まだ柔軟に曲がったり、時に形を変えたりすることができると思い出させてくれるものだと思う。

でも、しばらくすれば人はまた乾く。

誰かに触れて得た柔らかさを、いつまでも維持しておくことはできない。

乾くことは失敗でも、病気でもない。

固くて脆い乾燥ワカメが、存外多くの水を吸うように。人もまた、誰かと話せばいい。

誰の力も借りず、一人で立ち続けられることを強さだと思うときがある。けれど、それは乾きすぎて曲がらなくなってしまっただけなのかもしれない。

僕らは人と話すたび、自分の中にまだ柔らかさが残っていたことを思い出す。

疲れているときに人と話した後に残る、あのじわっとしたもの。あれは誰かにもらった水であり、同時に、自分がまだ干からびきってはいない感触なのだと思う。

明日、乾燥したワカメにならないためにも、できるだけ多くの人と話せますように。

投稿者プロフィール

サカマキリュウ神戸つるかぶとデザイン事務所 所長
なんでも作るのが大好きです。
趣味は毎日の料理と、パソコンを使った音楽制作。